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2013年10月08日

雄勝町「伊達の黒船太鼓」




 あかあかと燃えるかがり火を背に、どーん、トントン、どーん、トントントン、またもや、どーん、トトトトーン、津波が引いては押し寄せ、巨大な津波の繰り返し。太鼓の打ち鳴らす音がBa婆の体を一瞬硬直させ、次に胸がつまり涙が込みあげてきた。暫く立つと、トントントン、トントントン、トトトトントン、どんどんどん、どどどんどん、どどどどーん、人、人、人人、人間の津波が、巨大な津波を押し返し、人間があかあかと燃え上がり、復興へ復興へと打ち鳴らす太鼓の響きが、かがり火の火の粉と、ともに夜空の彼方へまで、響き渡って来た。
 家族、友、全ての物を失い「心」さえも持ち去られ、空洞の闇にさらされていた時、「黒船太鼓の復活」。腕を空にむけてたかだかく振りかざし、「どーん」一発打ち鳴らした時の「心」はこの揺れ動く写真のような「撥」と同じではなかったかと思う。大震災から三年になろうとしている今でも被災者の胸の内はこの写真の「撥」のように「悩み、苦しい」日々を送っている。近くに多くのその方々がいるという事を忘れてはいけないのである。何時の日かこの女性が振りかざす「撥」が大空へむけて、真っ直ぐ、はっきりと一本になって「どーん」と響く音を聞きたいものである。破壊された物は必ず先人から伝わる知恵と私達現代人の力、力で「再生」するものと信じる。

万葉祭雑感
  

P o s t e d b y 風の沢 a t 18:08コメント(0)Ba婆の日記

2013年09月10日

器談義



この器に出会った瞬間、透明感のある美しい青緑色に引かれ足を止めた。

手を触れたらどうも、コロコロと落ち着きがなく、食器棚に置いたら食器棚の中を落ち着きなく駆けづり回る子供だなと思って一旦はその場を立ち去った。

どうも「青磁」に魅かれる。そのまま食器棚に放置していた。

或る日ふっと、落ち着きのないコロコロ君が目に留まり、水でも飲んでみようかと思い、水を入れてテーブルに置いた。何と「デンと構え立派に自己主張」しているではないか。それから水を飲もうとコロコロ君に手を触れたら「くぼみ」があった。くぼみを握って水を一気に飲み干した。「喉越しの良さ」これは飲兵衛が計算づくで作った「ぐい飲み」であることに気づく。お酒を飲めないBa婆でさえ「喉越しの良さ」を感じたのだから、飲兵衛には堪えられないだろう。堂々と自己主張をしているぐい飲みの下を見たら、飲兵衛が控えめで遠慮深い直線の模様が施されていた。じっと見ていると、いやいや「ぐっとやれ」と催促している生きのいい模様である。
Ba婆は「ぐっとやれ」ないので毎朝ヨーグルトに小豆をのせて、飲兵衛の爺ちゃんのことを想い愛用している。  

P o s t e d b y 風の沢 a t 16:56コメント(0)Ba婆の日記

2013年07月17日

ピコちゃんと子供達 お母さん、わたしを見て !

柳田邦男著 「みんな、絵本から」 2009年発行

柳田邦男さんはその頃から「ケータイ スマホ」について警鐘を発していた。本の一部から・・・

メールを送って、返事がないとイライラ。

メールの賞味期限は「その日のうち」。

メール友50人。

授業なんて、うわの空。

その怖さ!! 人との接触が希薄になり、人への思いやりが失われる。自己中心的になる。匿名発信の快感にひたるうちに、モラルの意識を失い、二重人格化する。

等と・・Ba婆もPCを始めたら、確かに思い当たるものがある。メールを送って返事がないと、何回もPCを開く、せっかく、メールを送ったのに・・友達なんかやめよ!と思いつつ、結局電話をかけて、お互いに「大笑い」Ba婆達はこれでも済むが・・

親は防犯の為といって、小学生からケータイやスマホを持たせているが、机の下でピコピコしていては学力はどうなるのであろう。友達のやり取りは密室でおこなわれる。またFBなどを見ていると、友達数百人から数千人、これが匿名発信の快感なのであろうか。

文章表現を見ると句読点等がなく、心の表現は、(笑) ??!!等と言った記号である。
このままでは「日本語の美しさ」が危惧される。オイ オイ Ba婆ちゃん、これは「遊び」なんだから、「心配」しなくてもいいの。「早死に」するよ。そうかぁ、Ba婆ちゃんは口出ししなくてもいいのか。

こっちは口出しするよ。「お母さん わたしを見て」 これも柳田邦男さんの警告から。お母さん、手に持っているもの なんなの?お母さんのお腹にいた時は、あったかかった。お母さんの手の中で、ピコ ピコ動かしている物そんなにだいじなの?


お母さん 、わたしを見て!  我が子を抱きしめ、肌と肌が触れあい、我が子の「鼓動」を聞き、赤ちゃんもお母さんの「鼓動」を聞きながら、美味しいおっぱいを、「どくん どくん」これが「子育て」の原点ではないでしょうか。

素敵なお母さんになりましょう。   

P o s t e d b y 風の沢 a t 19:01コメント(0)Ba婆の日記

2013年06月20日

Ba婆への戒  2話   手

Ba婆はまた失敗をしてしまった…。

禅語に「勢い、使い尽くすべからず」と言う言葉がある。
調子にのるなと言うことである。

どうも、調子に乗って突っ走ってしまった。

フェスブックで言葉が足りず、友人を傷付けてしまった。

何々の「つもり」でしたが・・どこまで「理解」して頂いたか、その日から「つもり」と言う言葉がBa婆の脳裏から離れず、落ち込む日々が続いた。
FBを全部削除してパソコンを封印した。

心が晴れぬまま、まだ「愛思考 木彫刻 伊藤光治郎展」を観ていなかったので、風の沢ミュージアムへ 

その日は小雨が降っていたせいか、古民家の周りの木々もしっとりと濡れていて、ゆっくりと鑑賞することが出来た。木彫を一巡したが、何故か「若く美しい観音さまのような仏像の前はすーと通りこし、良寛さんに似た仏像の前で佇んでいた」暫く良寛さんに似たお顔を観ていたら、「ほっと」して来た。

其処へKさんが入ってきたので、Ba婆もこんな顔で死ねたらいいなぁーと、ほんとに良いお顔であつた。帰路に着くうちに次第に「曇っていた心に少しづつ光が差し込ん出来た」布団に入り、何気なしにお腹の上に手をのせた。今まで伸し掛かっていた心の曇りがすーと消えた。その手の上に片方の手をのせた。今度は「もう大丈夫」と言う安堵感であつた。

そう言えば木彫展の仏像にはお腹の上にそつと優しくのせた「手」があつた。
お腹 腰 頭などが痛い時に痛みを押さえてくれる「手」
仕事を頑張る「手」
苦しみを取り除いてくれる「手」


「写経」と同じではないだろうか。お腹にそつと両手をのせて眠る時はきっとBa婆も良寛さん似た穏やかな顔で眠りに付いていることを念じたい。  

苦しい時はお腹にそっと「手」を載せてみて下さい。「ほっと」しますよ  
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P o s t e d b y 風の沢 a t 09:17コメント(0)Ba婆の日記

2013年06月02日

高名の木登り 徒然草 第109段


Ba婆の徒然草の写読も、109段までたどり着いた。

しかし、まだまだ 「高名の木登りといひし男、人をおききて、高き木に登らせて梢切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、下るるときに軒長ばかりになりて、過ちすな。心して下りよ。とことばをかけ待りしを、かばかりになりては、飛び下りるる・・・」
Ba婆は「ふっと こうみょう」
こうみょうと言う言葉はもっとある。

「光明」
「巧妙」
「功名」
「高名」と有った。

「光明」を除くと、一つの共通の「意味」がある。
「巧妙」の意味は「非常に巧みであること」
しかし、「-な手口」「-に立ち振る舞う」となると・・・
「功名」は「手がらを立てて,名を挙げる事」「-を争う」「-にはやる」「けがのー」と
「高名」は「手柄を立てる事、特に戦場での手柄」しかし、こんな諺も有るようだ「高名の中に不覚あり」これは、得意になっていると、かえって失敗をおこす。「高名の腕まくり」さほど実力がないのに自慢して、強がること。共通点に対する警告、 

徒然草 第109段 木登りの名人と言われた男の言葉。
「過ちすな。心して下りよ」の言葉に言い尽くされていると思われる。いやいや、もっと大きな言葉「光明」でる。意味は仏、菩薩の心身から放つ光。智慧や慈悲を象徴するとある。
これから道を極める人、極めている人は、仏様や菩薩様の心身から放つ、智慧や慈悲を頂き物事の道理をしっかり判断して処理していく、心 「光明」を持ちたいものである。
関西のH氏や参議院選へ向けて多忙になる方々へ  

P o s t e d b y 風の沢 a t 18:37コメント(0)Ba婆の日記

2013年05月19日

日馬富士と童話 「うさぎと亀」


日馬富士と「うさぎと亀」 これって、何のこと そうです、童話「うさぎと亀」です。

何故か、今場所の日馬富士を見ていると、この童話と重ねて考えてしまうのです。誰も知っている、童話「足の速いうさぎとのろまな亀が競争して、うさぎは途中で油断をして、昼寝をして負けてしまう」という物語 

ここでは「うさぎ」は関係ないのです。

Ba婆は「亀」にスポットを当てて考えてみました。亀とうさぎでは、元々身体能力の差ははっきりしている。亀はその事は熟知していた。それでは何故あえて、競争に挑んだのだろうか。亀はうさぎに勝つレースではなく、自分自身との戦いだったと思う。

今場所の日馬富士の心を探ってみると、どうも、うさぎに勝ちたいという焦りが見え隠れする。大関から横綱を目指す時は「自分自身との戦い」だけを「心」にしつかりと持ち土俵に上がっていた。
しかし、先場所 今場所をみると、日馬富士は「横綱という、うさぎ」を意識している。
さすが、師匠と北の湖理事長は見抜いている。
師匠の伊勢ヶ浜親方は「頭を付けないとダメ、相手は背が高いんだから・・・」と、身体能力の差を見抜いていた。
北の湖理事長は「横綱 うさぎという地位にまだ慣れていない、負けられないという気持ちが強すぎる、顔を見ていても、自分で自分を硬くさせている」と、うさぎとのライバル意識を指摘している。

さて、白鵬はどうか、「亀の生き方を通りこし、競争の激しいピラミット人生ではなく、成すべきことを成す、優雅な運上人生を歩もう」としている。
日馬富士よ 今は「何も考えず、ライバルは自分自身しかいない」事を心に諭し、戦ってほしいものである。
成功する人はいつも「亀タイプ」であるから・・・  

P o s t e d b y 風の沢 a t 20:53コメント(0)Ba婆の日記

2013年05月11日

母の日



二つの「花巻人形」を見ると、誰もが滑稽さを感じ、笑いを誘う。

確かに、出産間近い、大きなお腹を母か、義母か、産婆さんかが、「大きく育っているかぁ」と優しく摩っている。もう一つの人形はしなびて、干し柿のような「オッパイ」をむき出しにした、高齢出産だったかもしれない母親が手でオッパイを一生懸命揉みお乳を出そうとしている。しかし、じぃーと見ているうちに、親が子にかける慈愛が伝わってくる。

七十一歳を迎えようとしているBa婆の顔に一筋の「涙」が流れた。

八十八歳で旅立った今は亡き母の姿を想い出した。或る例え話に九十に近い母親が六十の息子に橋を渡る時、「気をつけて、渡れよ」と言ったそうだ。幾つになっても、親と子の愛情は永遠なものである。
Ba婆の一人息子が中学校の頃「こみや、こみや」と試験勉強の暗記をしていた、
「それ、なに、」
「保健体育の試験に出るんだもの」
「うんー それはね、しきゅう、子宮と言うのだよ、子宮はね、子供を守る大切なお城、宮殿なんだよ、お母さんのお腹の宮殿で、子は十ヶ月大切に育てられるんだよ、だから、子宮と言うの」
母親は初めて見る我が子に
「しっかり、生きて、しつかり、育てなければ」と誓う。「母の日」母は形ある物は望んではいない、
「かあちゃん」と言って、抱き合ってはどうかなぁ、子は母の体の温もりを、母は成長した子の温もりを感じるのが一番の贈り物ではないだろうか。
離れている子は「かあちゃん、元気」と言う電話から聞こえる肉声、 又は、直筆の「はがき、手紙」パソコンの文字では、温もりが感じられない。親は筆跡やタドタドしい文から、子供の暖かさを感じ取るものである。  

P o s t e d b y 風の沢 a t 10:03コメント(0)Ba婆の日記

2013年05月04日

「演歌」で日本人の「ブルース」が聞こえる



八代亜紀が、ニューヨークでも一流と言われるクラブハウス「バードランド」へ挑戦した。
持っていた曲が、雨の慕情、舟歌、再会、その他8曲ほど。
プロデュ―スを担当したのが、グラミー賞最優秀賞を受賞したボーカリストのカート・エリング氏であった。
八代亜紀は私の原点はJAZZであると言っていた、モダンジャズと言われていた時代、略して「ダンモ」と言って、Ba婆も学生の頃ジャズ喫茶に通い詰めて、頭を振り振り酔いしれていたものだ。その当時もライブハウスはあったが、ロカビリーの全盛期で、ジャズはLPでしかも一杯のコーヒーで何時間も、もっとあつかましい事はマスターにお湯を貰い飲み干したコーヒーカップに砂糖をかき混ぜ、また何時間も粘る。しかしマスターは笑顔で貧乏学生に対応してくれたものだ。何とのどかな時代であった。しかし、本当にジャズを理解していたかは疑問である。

八代亜紀の「バードランド」への話に戻るが、亜紀は30年ぶりのニューヨークで、持ち歌をジャズで歌おうと思い、カート・エリング氏についてレッスンを始めた。雨の慕情をJAZZで、始めたが如何してもリズムに乗らない、カート氏「合わない時は笑顔で待ってて下さい」と。

ジャズの楽譜はコードが無いそうだ、つまり、アドリブの世界である、如何しても、さすがの亜紀も乗れない。カート氏CDを聞き始めた。
カート氏「亜紀の歌から日本人のブルースが聞こえる」と言った。「雨の慕情 舟歌を演歌でいこう、日本の心を伝えよう これが最高だ」と、カート氏が絶賛した。ライブは大成功だった。庶民の歌の原点はJAZZであり、演歌であり、音楽は人の「心」に響けば良いのである。  
NHK「演歌の女王 ジャズを歌う~八代亜紀 ニューヨークでの挑戦」視聴でのBa婆の感想である。
  

P o s t e d b y 風の沢 a t 23:10コメント(1)Ba婆の日記

2013年04月27日

Ba婆への戒め


フェスブックを始めたら、若い人のお友達が沢山出来て、「Ba婆」だから皆さんが大切にホローしてくれる。それを良いことに、浮かれたっているこの頃である。

吉田兼好さんから「戒め」の言葉が届いた。
徒然草 第七段 後半
「その程過ぎぬれば、貌を恥づる心もなく、人に出て交らはん事を思ひ、夕の陽に・・」とある。
後で解釈をするが、なぜ、この頃「徒然草」か、と言うとBa婆は高校の時、古文、漢文は苦手で試験の時急ぎ働きで、どうにか赤点を免れた。
それが、なぜ今になつて、六十歳の時母の介護のため家を空かす事が出来ず、筆で細字を書きたくて、毎日少しずつ書けば何時か上手になるだろうと思い、徒然草を一段目から、何と二百四十三段ある。
和紙のノート一ページめに「さて、二百四十三段、何歳で終了すかお楽しみ」と記されている。その間母が亡くなり、Ba婆の病気等で現在九十一段で留まっている。つまり「写読」と言うものである。

では、第七段の解釈「老い衰えた醜い容貌を恥ずかしく思う心もなくなって人の中にでしゃばり交わることを願い、夕日のように傾きかけた年をして・・」と続く、Ba婆の近所に九十歳になるおぱぁさんが一人で暮らしている。
おばぁさんの日常を見ていると、決まった時間に起き、洗濯物がすでに干されてあり、決まった時間に歩いて近くの病院へ行き、毎日テレビをつけて、一針、一針、パッチワークを楽しんで一日一日を「静かに」淡々と、「ていねい」に生きている。
この辺でBa婆も反省しょう、世俗の望みを叶えようと欲張る心を少しずつ捨て、出しゃばらず、はしゃがず、静かに、ゆっくりと「峯静庵」で、徒然草 九十二段から写読を始めよう。

「峯静」いい名前だね 何処かのお寺さんで修行して「峯静尼」というお名前を頂けないかな

頂く前に「峯静院」という戒名になるでしょう  

P o s t e d b y 風の沢 a t 17:21コメント(0)Ba婆の日記

2013年04月19日

父ちゃん I love you


Ba婆がパソコンに触れたのは、E嬢からの一声であった

「ピコちゃんっておもしろいよ」
「それって、何」
「パソコン、ピコ(マウスのこと)を押すと買い物や色々な物も見られるし、お友達にもお話ができるのよ

」Ba婆はうんーと、うなづくだけ

「やってみなさい」
「とんでもない! ! ムリ ムリ」でその場は終わった、
しかし、好奇心が芽吹いてきた。そこから「パソコン」先生の綱渡り、退職したばかりの元同僚のI氏、70歳のBa婆のために快く引き受けて頂いて、約1年に渡り手とり足とり、半ボケ頭に入力するのは幼稚園児に教えるより大変だったと思う。

ようやく「インターネット」までたどり着いた、I氏なくしては「パソコンの世界」は無かった。
「パソコン」のリレーはまだ続く、エッセイ―の様なものが綴りたくて「Word」へと進む、こちらは教室へ半ボケ頭の入力は30分から40分程度で限度である、これは今も続いてる。
Ba婆ちゃん!「Twitterって面白いよ」と若いイケメンから声を掛けられ、Ba婆でもイケメンから声を掛けられれば、「ぽーと」なり、直ぐTwitterのところへ・・・奇跡が起こった、ある有名人と繋がった、イケメンに「先ず有名人だから、返信は来ないから諦めたほうがいいよ」
ところが・・・来ました!Ba婆も有名人!Ba婆のTwitterだから・・・

今度は近くの美人I嬢が「Facebookやりましょうよ」
「それって、なに!」
「お友達が出来て、お話が出来るの」
「じゃ!教えて」
I嬢の意のままにFacebookがアヤツラレBa婆のBookが出来上がった。
何と出て来るわ 出て来るわ (@_@)こけた!
同居の息子まで出て来るではないか、大切な父ちゃんは無かった。本人の顔写真があると安心するが、イラストだったりすると、どうも不安がつのる。
記事と写真は映し出させられるが、「声」で会話は出来ない。
それってTELだ!
 一番 大切なことに気付いた!!父ちゃん!ごめんなさい!!
父ちゃんと過ごす時間が少なくなった、そして、会話が少なくなったこと。
お互いに過ごす時間が残り少ないのに・・・・改めて 父ちゃん I Love You  

P o s t e d b y 風の沢 a t 11:55コメント(0)Ba婆の日記

2013年04月15日

ふらっと街歩き 盛岡


栗駒高原駅 乗ったのはBa婆だけ


若いイケメンに撮影を頼む 新幹線で読書をするのが大好き


鉈屋町雛祭り出発式 粋だねー


Ba婆も幾つになってもお雛様


鉈屋町とは刃物職人の町だったそうです、材木を扱っていた材木町、紫紺染めの町紺屋町、その他にも野菜を扱っていた町もあるとか、それにしてもすごいお家です


藤間流の踊り Ba婆も藤間流一応お名前を貰っています


ランチタイム 上の橋の川べりあるランチ屋さん Ba婆は3回目 本日のランチは玄米ご飯、牛肉と厚揚げ玉ねぎをトマトと味噌ベースで煮込んだもの、野かんぞうの辛し和え、いわしにうどの胡麻和え、さつま芋と三つ葉のお浸し、北寄貝と新玉ねぎ、
セロリのサラダ、牛肉の和風スープ、バッケが散らしてあった。デザートは蜜まめ

お土産は一閑張りの裁縫箱と針刺し 主婦は最後はデパ地下 盛岡から魚を沢山買って袋が三個になった  栗駒高原で降りたのは3人だけ ふらっと街歩き目出度し、目出度し  

P o s t e d b y 風の沢 a t 18:22コメント(0)Ba婆の日記

2013年04月11日

幽玄の宵風

  

P o s t e d b y 風の沢 a t 15:08コメント(0)ミュージアム

2013年04月08日

使 い き る



有元葉子著 有元葉子の整理術 衣・食・住・からだ・頭・「使いきる」と言う本を只今読書中・・Ba婆は戦中生まれで、あまり物のない時代に育ったわりに、無造作にパァパァと物を捨てるところがあったり、他人がそんな物をと思う物を大切に取っていたりする。

読書中 こんな文章「道具や器なら、使うか、使わないか、服なら、着るか、着ないか、」本を投げ出し、真っ直ぐ台所へ・・
道具や器の整理に取り掛かり、次に洋服ダンスへ走り、着ない洋服をごみ袋へスパット押し込んだ。
気持ちがスートとした。数時間後、ごみ袋の中から一着の洋服を取り出しまた洋服ダンスへしまった。

馬鹿ではないか?

これが戦中生まれの昭和人。
しかし、主婦の中には結構Ba婆と同じような人がいますよ!また、読書を始めると次にこんな文が出てきた、大根の皮をむいている時「この皮どうする?捨てる?」自分の体すべてが自分であるように、大根は皮も葉っぱも大根である。つまり、全部使いなさいということでる。
Ba婆も出来るだけそれは実行している。皮はキンピラに、葉っぱは細かく刻んで味噌汁か、お漬物、ブロッコリーの軸だって、人参などと混ぜて胡麻あえに、ごぼうもよく洗い皮はむきません、もちろん、人参も同じです。次の文章 献立をたてる時有元さんは食材を全てバットに並べ、調理方法を考えるという。
つまり、食材にも適材適所があると言う事だと思う。今年の新入社員を「ロボット掃除機型」と名付けたそうだ。プレッシャーに弱く、丁寧な支援が必要とのこと。Ba婆は可愛そうだと思った! !新人でなくても、Ba婆達だって見知らぬ人との会合だったりする時は大なり小なりプレッシャーを感じる。
これから始まる未知の職場への船出にスタートから「ロボット掃除機型」等とレッテルを貼られて、新人教育を受ける新入社員の想いはどんなものだろうか。どんな人にも必ず得意な物があるはず、野菜にも色々な味がある、それを生かして調理すれば三ツ星レストランにもなる。新入社員を長い目で適材適所を探し調理をして、定年まで「使い切って」欲しいものである。
本日の夕食の一品 ブロッコリーの軸とシィタケの軸、人参で胡麻和えを作りました「使い切りました」
  

P o s t e d b y 風の沢 a t 00:46コメント(0)Ba婆の日記

2013年04月03日

Ponanza棋士 勝ったのは 「運」もあったかも



新聞に「対将棋コンピューターソフト戦 プロ棋士 初の敗北」という見出しが出ていた。
父ちゃんは囲碁初段であるが、Ba婆は囲碁、将棋は全く解らない。囲碁、将棋のイメージは戦国武将達が盤上で戦略会議をする映像や縁台で一ちゃん、三ちゃんがうちわ片手に将棋盤とニラメッコ、そこへ八さぁん、千ちゃん、吉ちゃんらが取り囲み、口出しが始まる、一ちゃん、三ちゃんがとうとうキレて、縁台をひっくり返すと言った江戸っ子の風情を感じる。

打って変わって、プロ棋士の対局となると、羽織袴で扇子を片手にピーンと張りつめた緊張感と静寂の中「パチン」という「音」
そして、駒、碁石を挟んだ「指先」に「美」を感じるのはBa婆だけだろうか。
その年で覚えるのは完全に無理。俺だって道場に通っていた時、小学生と対局したらコロンと負けた。そこで、父ちゃんからご指南を賜ったのは、将棋、囲碁の道具についてである。

将棋は古代インドのチャトランガという「さいころ将棋」が始まりで、囲碁は「中国」で「易」とのつながりがあった。盤は榧で作られ、マス目は日本刀に漆つけて一気に線引きをする職人技、脚付きの盤の裏側に「へこみ」がある、これは「音受け」であるが、父ちゃんが恐ろしいことを言った。別名「血溜まり」と言う、横から口を出した者が「首をはねられ」その「へこみ」にのせたと言う。「へこみ」は盤から出る水を出し盤のひび割れを防ぐ為のもの。ついでにな、盤の脚はクチナシを使う、これも「口無し」である。


碁石は「ハマグリ」、ごけ(碁笥)は黑柿や桑が使われ、木地師や塗り師の技である。駒の木地は「ツゲ」で駒師と呼ばれる彫りの職人の手技である。他にも「駒台」「駒袋」があり、その道の第一人者が携わっている事だと思う。父ちゃんご指南有難うございました。  一寸疲れたー 勉強になりました!

対局での静寂の中の「パチ」と言う「音」「棋士の指先」の「美」 道具に込められた職人の手技の「魂」 日本の文化と伝統美を大切にしたいものである。
神聖な土俵でリモコンで操作されたロボットと白鵬が対決して白鵬が勝っても、白鵬は喜ぶであろうか? プロ棋士佐藤慎一四段だって、心から喜べなかったと思う。棋士は日本の文化と伝統美を知り尽くして対局に挑んでいると思う。これから続く幼い棋士に是非伝えて欲しいものである。

Ponanza棋士 「勝つことができたのは、運も味方したと思う」と言う言葉に「ほっと」した。ソフトを開発した山本一成さんも「日本人」だったと!  

P o s t e d b y 風の沢 a t 14:01コメント(0)Ba婆の日記

2013年04月01日

「老いること」に喜びを頂いた  ダニエルカールさん

好奇心のあるBa婆と言ったらカッコいいが、単なるモノヅキBa婆である。
この頃「ツイタ―」というものが気になり、近くに住む若いT君のところへ伺い
「ツイタ―て何に!」
T君快く「じゃあ、やってみましょう」
「Ba婆でも出来るかな」
「出来ますよ、まず、ユーザー名、パスワードを作りましょう」
「いいから、適当に作って」などと言いながら、Ba婆はメモを取ることに必死、
「誰にしますか」
「ちょとおっかないから(怖いと言う事)有名人がいいな」

そこで、登場したのがダニエルカールさん!!さっそく、T君ダニエルさんにツィートだか何だか、そうしたら、ビックリ、なんと !今平泉でおいしい蕎麦を食べていると言う事、なんと奇遇なこと、そこからである、Ba婆の予感が・・・・?
「何か、コメントを送りますか?ただし、140文字ですよ」と言われて、
送ったツィートが「隣の県の70歳婆ちゃんです。伊達なBa婆と言う題でブログを綴っていますのでお暇な折に検索をしてみて下さい。」
T君「有名人だから、ツイタ―は何万人 何千人もいるので、先ず返信は期待しないほうがいいね」という事でツイタ―のお勉強を終了した。
しかし、どうも、不思議な胸騒ぎひと眠りして11時過ぎトイレに起きたついでにPCを開いて見たら、なんと!返信が来ているではないか!
「70歳のばんちゃんのブログですか、今見てますよ 器 お料理 ファション キルト 紙漉き 検索 検索 趣味がいいですね」Ba婆は嬉しくて、嬉しくて寝ている、息子を起こした。直ぐ返信に取り掛かったら息子に、
「カァチャン!今でなくていいだよ、早く寝らいん」と言われたが、胸のトキメキが治まらず、夢中になって返信をした。
布団に入ったのは、すでに午前0時を回っていた、こんなトキメキは高校、大学の合格発表以来かな。

嬉しかったなー  老いると言う事もいいもんだなぁ 

きっと 「ばんちゃんのブログ」だから見て下さったのでしょう。 ダニエルさん!!生きる喜びを与えて頂き有難うございました。 しかし、老いると言う事も良いものですね、「競争」という事や「頑張る」と言う事が薄らいで行きます。瞬間、瞬間とう時を喜びを持って生きればいい事だと思います。  「生」は一瞬の連続ですからね!  

P o s t e d b y 風の沢 a t 08:16コメント(0)Ba婆の日記

2013年03月30日

2013年03月27日

首相の日録と生活習慣病



Ba婆は河北新報の首相の日録を見るのが楽しみである。

首相の分刻みで行動する様子が一目瞭然である。

ゴールは築地の日本料理店で会食、帝国ホテル「鶴の間」で会食、赤坂の中国料理店で会食などなどである。

今日あたりは有楽町の屋台でSPにガードされ、麻生副総理と会食では如何かな、屋台の大将、俺んちの支払いはクレジットや? ?税からの支払いはお断りだよ!現金だよ。えーと焼き鳥5?本 おでんが、大根と厚揚げとたこ・・・後は焼酎 1杯 あっ! SPでガードされてたから客が来なかったんで貸切代だね、それでも安いもんだろ!

9時56分 東京富ヶ谷の私邸  首相殿連日食べ歩きをしていては、恐ろしい 脳梗塞 心筋梗塞 または以前の病気の再発が待っていますょ お気をつけあれ! !
先日長寿県のランキングが発表になりましたね、男女とも長野県でした。食事に気をつけて健康を自己管理しなさいと言う事、そうすると病院代、薬代も少なくなり、医療費が下がり、後は「ぴん ぴん ころりん」とお空の方へどうぞ。
昨日Ba婆も首相に習い会食をして来た、「ぴん、ぴん、ころりん」と行くために写真のような定食を選んだ。挽肉を玉ねぎで挟んだパン粉揚げ、なす、ピーマンもパン粉で揚げた物、カルシウムたっぷりの自家製のしらすの佃煮、カロテンのある青菜のお浸し、畑のお肉の豆腐がいっぱい入ったなめこの味噌汁。煮魚にはミネラルとビタミンの豊富な昆布も煮込んだものが付いていました。伊達家家臣の藩校「有備館」近くの「キッチン食堂城山」で会食。2時17分М町の私邸へ   

どうぞ 首相殿 生活習慣病を考えて食事の準備をしている奥様の手料理をお召し上がりくださいね



「キッチン食堂城山」
大崎市岩出山二ノ構6 有備館付近 
 ℡ 0229-72-0356
11:30-19:00
第一水休

分からない時はスマホで℡を
ごはんは蒸しカマドで焚きます  

P o s t e d b y 風の沢 a t 07:27コメント(0)Ba婆の日記

2013年03月25日

開運 ! なんでも鑑定団  IN  風の沢



なんでも鑑定団in 風の沢― 本日の登場は沢町のBa婆さんです。

お持ち頂いたのは萩焼の大鉢です、Ba婆の祖父母は沢町で炭屋を営んでいました、祖父がある商家から借金の肩代りにと、頂いてきたのがこの鉢です。

商家の主人は江戸末期からこの家に伝っている物で、萩の三輪休雪が起こした三輪窯で焼かれた鉢だそうだと、教えられてきました。
箱はどうしました、箱は祖母が借金の変わりにこんな物などと言って、怒って足で壊してしまったそうです。何だか、色も変わり、細かいヒビも入ってきましたが、とにかく気になり思い切って持ってきました、鑑定よろしくお願いします。
ご本人価格幾らにいたしますか、少し遠慮して、30万円!! 
鑑定士「萩焼は桃山時代に萩藩主毛利輝元が朝鮮半島から帰化した李勺光(りしやっこう)李敬兄弟にご用窯として開窯させたのが発祥です。確かに寛文3年に三輪休雪が三輪窯をお越し今日に至っております。昔から一楽、二萩、三唐津と言われ賞玩されています。萩焼は使うほどに釉色が変化するので、萩の七化けといわれています。残念ながら、Ba婆さんの鉢は新しくここ1年位前の物で、ヒビは誰かがイタズラをしたのでしょう!! どうぞ、キンピラでも、盛り付けて毎日楽しんでお使いください。はい! 3000円―  Ba婆 バレたかぁ
ヒビは買ってきて直ぐ煮出した紅茶の中に三日位付け込んだものだ。
さすが、鑑定士 あっぱれ  萩焼だか分からず。
  

P o s t e d b y 風の沢 a t 08:31コメント(0)Ba婆の日記

2013年03月23日

今年もお会いしましょう 真梨子さん



カフェをしているS嬢からの電話(S嬢はチョト若村麻由美に似ている素敵な人)
「Ba婆さん!今年も追っかける」
「うん!追っかける、追っかける」
「分かった!いっしょに振り込んでおくね」

数日後チケット代を支払いにカフェに行き真梨子談義に花を咲かせた。
頂いたPaperMoonの会報 真梨子さんの写真を見ていると誰かに似ている感じ、
あっ!そうだぁ浅田真央ちゃんだ、真央ちゃんに悪いけど。

そこから、Ba婆の夢見る夢子ちゃんが始まった、ゴールドのコートはあちら物で年金暮らしのBa婆には手が出ない、これに似たコートがあったはず、ホーマックに行ってゴールドのスプレーを買って吹き付けるといいではないか、顔は10年若ければなぁ、今はどうしょうもない(淡谷のり子をご想像あれ)髪は何とかなる、しらがのメッシュが入っている、イッソノコト金髪に染めるかなぁ。

父ちゃんビックリこけて、腰を抜かすであろう。 真梨子さんはレコードデビューから今年で40年、そうすると、??年なるんだ、Ba婆は追っかけ3回だがヘドロ、あっ、間違い、ペドロ&カプリシャス時代からのテープやCDを持っているから、追っかけと同じだな。真梨子さんも良いけど、ヘンリーさん、ラブラドールレトリバーに似た金髪のおじさん、サックスの万照さん等が家庭的な暖かい音で真梨子さんをホローしているのもいいね。
真梨子さんはペギー・リーが80歳まで現役で歌っていたので頑張ると、確か淡谷のり子もピアノにもたれかかって、80以上まで歌っていました。いな・かっぺいがこんな悪口を言っていました、「ピアノがずれると、淡谷のり子は倒れるよ、ピアノは椅子変わりだよ」真梨子さんはヘンリーさんに寄り掛かればいいね、いい感じ!ヘンリーさん演奏出来ないか!その頃はBa婆はお空に行って、お空から・・まてよ!千の風に乗って、コンサート会場へ忍び込める。
1年中追っかけが出来るではないかぁ…Ba婆も Play the guitar Play it again my Johnny・・ラララ・・歌いながら10月まで生きるぞー なにしろ、年寄りはその日、その日が勝負ですからね。
ここでちょと、CM Ba婆がお世話になっているカフェさんは一関大町で西洋アンティークのお部屋の素敵なお店です、おすすめは、野菜たっぷり家庭料理のランチです。他にもピザ、パスタ、カレーなどもあります。野菜がたっぷりと言う事がお気に入りです。写真の看板を探して是非お出かけください。お休みは不定期ですから、ご注意を!
月に1、2 度しか休まないようです。ランチはなんと、740円 どうして、750円ではないのかな ??
  

P o s t e d b y 風の沢 a t 08:17コメント(0)Ba婆の日記

2013年03月18日

いい下山をしているね   ヒデ [中田英寿]



五木寛之の文章に「急坂を登り、重い荷物を背負って頂上を目指す時、人は周囲を見回す余裕はない。必死で山頂をめざすことに没頭しているからだ。しかし、下山の過程は、どこか心に余裕が生まれる。遠くを見渡すと、海が見えたり、足もとに咲く高山植物をカメラにおさめたり、こんな高いところにも、こんな花が咲くのかと驚く。岩の陰から顔を出す雷鳥に目をとめる時もある。一歩一歩、足を踏みしめ下って行く時、自分の人生の来し方、行く末を想うことがある」と書いてあった。

ある時、 いい顔をしているヒデがTVに映しだされていた。

それはピッチに立つヒデではなかった。日本の伝統文化を引き継いでいる名匠を訪ね歩く映像であった。アナウンサーの問いにヒデは「僕は今までホテルとスタジアムの往復であった、サッカーを止めてから海外を回った、その途中ハタと気づいた、僕は日本人だ、僕は日本の事が分かっているのだろうかと」そこから旅が始まった、
地方の文化を知りたくて47県訪ね歩いたそうだ。そこでBa婆はどうして重要文化財とか国宝ではなかったのか。映像に出てくる名匠は「包丁作り、紙漉き、漆の樹液採り、お椀の生地作り、陶器、絣の糸作り、など」代々受け継がれてきた生活に必要な手技の文化であった。名匠の方々は異口同音に「私達はうんと高く買ってくれる人や偉い人の為に気張ったりして、物は作りません、そんな事をしたらいい物は作れません。ただ、毎日毎日同じことを繰りかえししているだけです」
九十何歳かなる琉球絣の糸を紡ぐ、お婆さんの顔はほんとにいい顔をしていた。「無心でする仕事」これが一番美しく、長続きして疲れず、世の為になり実も結ぶと何かの本で読んだことがあった。
しかし、名匠の方々が「ただ、毎日同じことを繰り返しやっているだけです」という言葉はそれまでの修行なくしては「無心」になれるわけではないと思う。

中田英寿はサッカーのプロとして頂点を極め、これからが下山であろう。さすが、英寿素晴らしい下山の道を見つけたものである。
  

P o s t e d b y 風の沢 a t 18:00コメント(0)Ba婆の日記