2013年05月11日
母の日
二つの「花巻人形」を見ると、誰もが滑稽さを感じ、笑いを誘う。
確かに、出産間近い、大きなお腹を母か、義母か、産婆さんかが、「大きく育っているかぁ」と優しく摩っている。もう一つの人形はしなびて、干し柿のような「オッパイ」をむき出しにした、高齢出産だったかもしれない母親が手でオッパイを一生懸命揉みお乳を出そうとしている。しかし、じぃーと見ているうちに、親が子にかける慈愛が伝わってくる。
七十一歳を迎えようとしているBa婆の顔に一筋の「涙」が流れた。
八十八歳で旅立った今は亡き母の姿を想い出した。或る例え話に九十に近い母親が六十の息子に橋を渡る時、「気をつけて、渡れよ」と言ったそうだ。幾つになっても、親と子の愛情は永遠なものである。
Ba婆の一人息子が中学校の頃「こみや、こみや」と試験勉強の暗記をしていた、
「それ、なに、」
「保健体育の試験に出るんだもの」
「うんー それはね、しきゅう、子宮と言うのだよ、子宮はね、子供を守る大切なお城、宮殿なんだよ、お母さんのお腹の宮殿で、子は十ヶ月大切に育てられるんだよ、だから、子宮と言うの」
母親は初めて見る我が子に
「しっかり、生きて、しつかり、育てなければ」と誓う。「母の日」母は形ある物は望んではいない、
「かあちゃん」と言って、抱き合ってはどうかなぁ、子は母の体の温もりを、母は成長した子の温もりを感じるのが一番の贈り物ではないだろうか。
離れている子は「かあちゃん、元気」と言う電話から聞こえる肉声、 又は、直筆の「はがき、手紙」パソコンの文字では、温もりが感じられない。親は筆跡やタドタドしい文から、子供の暖かさを感じ取るものである。